第38回木曽音楽祭 曲目解説 ・・・・・ 寺西基之
8月24日(金)フェスティヴァルコンサートI
ドビュッシー~寺嶋陸也編●牧神の午後への前奏曲
クロード・ドビュッシー(1862-1918)は伝統的な音楽書法にこだわらない新しい響きの世界を求めてフランス近代音楽の扉を開いた作曲家である。彼の作品の中でも特に親しまれているこの「牧神の午後への前奏曲」は1892年から94年にかけて書かれたもので、彼と親交のあったフランス象徴主義詩人マラルメの書いた〈牧神の午後〉という題のエグログ(相聞牧歌詩)に基づく管弦楽曲である。この詩は、午睡から醒めた牧神が、夢うつつの中ニンフに欲望したり美神ヴェニュスを抱く幻想にすがったりするが、再びけだるいまどろみに陥っていく、といった内容を持つ。ドビュッシーはこの詩に対し、当初は前奏曲、間奏曲、パラフレーズ(終曲)の3曲を計画したが、結局は前奏曲1曲のみにとどめることとなった。それはおそらくこの前奏曲だけで詩の印象すべてを集約してしまったからだろう。実際、象徴的な幻想世界へ誘い込むようなフルートの主題で始まるこの音楽は、マラルメの象徴詩の雰囲気を見事なまでに表わしており、とりわけその斬新な書法-伝統的な長・短音階から離れた音語法、従来の展開法とは異なる自由かつ緻密な構成法、流動的なリズム、デリケートな音色の変化を生み出す楽器法など-によって、この小品は、ドビュッシー独自の様式を確立するとともに、音楽史的にも(ピエール・ブーレーズの言葉を借りれば)「現代音楽の目を覚まさせた」ほどの画期的な意味を持つ作品となったのだった。本日は寺嶋陸也の編曲による室内楽版(編成はピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン)によって演奏される。
フランセ●弦楽三重奏曲
ジャン・フランセ(1912-97)は20世紀フランスの作曲家である。両親も音楽家という恵まれた環境に育ち、幼少から楽才を発揮した彼は、早くも9歳で最初のピアノ曲を作曲した。特にこの年サン=サーンスが死去したことにショックを受け、自分がその後継者になることをめざすようになったという。翌1922年には作曲家・教育者として名高いナディア・ブーランジェに作曲を学び始め、次の年にはパリ音楽院で名ピアニストのイジドール・フィリップのピアノのクラスに入学、卒業後はピアニストおよび作曲家として広く活動を始めた。最初期には斬新な作風も示したが、ほどなく新古典的な様式を土台とするようになり、その中にフランス人らしい気の利いたエスプリと鋭敏なセンスを発揮して機知と明快さにあふれる作品を様々なジャンルで生み出していく。とりわけ室内楽作品にはそうした彼の個性が如実に現われた名品が多く、初期の1933年に書かれた弦楽三重奏曲(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)にもまさに彼の軽妙洒脱な持ち味が生かされている。 全体は4つの短い楽章からなる。第1楽章(アレグレット・ヴィーヴォ)は弱音器を付けた3つの楽器が生き生きとした綾を作り出していく。第2楽章(スケルツォ、ヴィーヴォ)は軽やかな躍動に満ちたスケルツォで、風刺も利いている。第3楽章(アンダンテ)は一転、哀感と厳粛さを秘めた旋律が歌われる。第4楽章(ロンド、ヴィーヴォ)は、おどけた主題を中心に活気にあふれる前進的な運びで楽想と気分をめまぐるしく変転させていく愉快なフィナーレである。
ニールセン●木管五重奏曲 Op.43 FS100
デンマークの生んだ作曲家カール・ニールセン(1865-1931)は、当初は民族的要素を盛り込む国民楽派の作風から出発しつつも、そこに近代的な響きを取り入れて独自の作風を追求していった。この木管五重奏曲は1922年に完成された作品。同年に書かれた第5交響曲が第1次世界大戦という苦難の時代と戦争についての思いを深く鋭く表わしたきわめて深刻で緊張に満ちた作品であるのに対し、この木管五重奏曲は、まったく対照的に、平明さと軽妙さを持った曲となっている。しかし円熟期の作だけに内容的には充実したもので、確かな筆遣いのうちに達観したような明るさとデンマークの自然を思わせる牧歌的な気分の漂う作品となっている。曲はコペンハーゲン管楽五重奏団のために書かれ、フルート、オーボエ(終楽章の前半ではイングリッシュ・ホルンに持ち替え)、クラリネット、ファゴット、ホルンという編成をとっている。 第1楽章(アレグロ・ベン・モデラート)は、ファゴットののどかな旋律に他の楽器が軽快に応えて開始される牧歌的なソナタ形式楽章。第2楽章(メヌエット)もやはり牧歌的な気分が支配的で、2重奏のシンプルな響きがひなびた情調を醸し出す。中間部のトリオはカノン風に始まる。第3楽章はまずアダージョの“前奏”が置かれ、イングリッシュ・ホルンの主題を中心に厳粛な気分が支配する。続いて“主題と変奏”となり、コラールから取った主題(ウン・ポーコ・アンダンティーノ)をもとに、変奏ごとに楽器の組み合わせも変えて(第7変奏はファゴット、第9変奏はホルンだけで奏される)、多様な11の変奏が繰り広げられる。
アレンスキー●ピアノ五重奏曲 ニ長調 Op.51
アントン・アレンスキー(1861-1906)は帝政末期のロシアで活動した作曲家である。ペテルブルク音楽院に学び、リムスキー=コルサコフに師事した彼は、卒業後にモスクワ音楽院で教え始め、門下からラフマニノフやスクリャービンやグリエールといった人材を輩出している。ピアニストとしても優れた腕前を示し、後年はペテルブルク宮廷礼拝堂の楽長も務めた。作曲家としてのアレンスキーはオペラ、交響曲、室内楽曲からピアノ曲、歌曲、宗教曲にいたるまで、様々なジャンルの作品を手掛けており、作風はとりわけ尊敬するチャイコフスキーの影響が色濃いが、一方でシューマンなどのドイツ・ロマン派やショパンその他の影響も大きく受けているのが特徴的だ。ピアノ五重奏曲はアレンスキーのそうした特質を如実に示した作品で、1900年の作。ピアノと弦との雄弁な絡みの中に情熱と叙情が入り混じるロマン的な作風は、シューマンのピアノ五重奏曲を思わせるところがある。 第1楽章(アレグロ・モデラート)は濃厚なロマン性を感じさせるソナタ形式楽章で、ピアノによって開始されて弦が加わる力感溢れる第1主題や5つの楽器の響きの綾から生み出される情熱的な発展などには、とりわけシューマンの五重奏曲とのつながりが感じられよう。第2楽章(変奏曲、アンダンテ)は変奏形式をとり、弦の提示する主題にはロシア的な情感が窺える。変奏は性格の変化に富んだもので、ショパン風のワルツによる変奏も挟まれている。第3楽章(スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ)は力感あふれるスケルツォ楽章で、連打による伴奏の上に気まぐれに発展する。穏やかな旋律による落ち着いたトリオが挟まれる。第4楽章(フィナーレ[フーガ]、アレグロ・モデラート)は、フーガという表記通り、ニ短調のフーガが展開しバロック風の雰囲気を作り出すが、それも前半だけで、やがてニ長調に転じて第1楽章の動機による明るい盛り上がりがロマン的な終結を導いていく。